2021年09月02日(木)2学期の言葉
『自分に克(か)つことは、他人に勝(か)つより すぐれている』(お釈迦様のことばより)
2学期となりますが、コロナ感染症により、まだまだ、不自由な生活が続きますね。
我慢にも限界があると、よく言われています。
耐える事が人生ではない、たのしみのある生活も必要な時がありますね。
ところが、我慢は仏教語で、お釈迦様の言葉です。
本当の意味は、自分の心の中心に、我があるとして、とかく人は我が自分中心のものとなり、他人が困るほどになることがあるので、それをいさめています。我慢とは自分の心の中のおごりや、とらわれの心を指します。
傲慢(ごうまん)とか、慢心(まんしん)をしりぞけ、正しい道を進むのが、悟りへの道となります。
さて、どなたも日常、コロナ禍で家中心の生活になっていると思いますが、何をやるにもおっくうになることがあります。それは、私など年をとると、なおさらそういう日があるのです。
このおっくうも本来は仏教語として億劫(おくこう)と書き、劫は、古代インドの時間単位で、百千万億劫の略でして、例えば、ガンジス川の砂の粒の数と表現されて、とても想像できない時の単位です。
その数を考えるだけで、ばからしいので、転じて、めんどうな事という意味になりました。
まだまだ、コロナ禍で、我慢が必要ですが、おっくうにならず、過去の自分にとらわれず、自分に克(か)つ事を、心がけましょう。
(※克つ・・・・・・“苦難に打ち勝つ”の意味がある。)